紺野ぶるまの高校時代が壮絶!学歴(大学・中学)や昔の画像やエピソードも!
お笑い芸人・紺野ぶるまさんが“ギャルで高校中退”という衝撃の過去を赤裸々に語り、大きな反響を呼んでいます。
実は、ピンクのブラトップで校内を歩き回り、年間100回以上の遅刻、ついには「腐った蜜柑」と呼ばれ退学処分に…!
しかしそこから人生を立て直し、芸人としてブレイク、さらには39歳で大学入学まで果たした驚きのストーリーがあるんです。
本記事では、中学・高校時代のギャルエピソード、高校中退の真相やギャル時代、そして大学進学の理由まで、一次情報に基づいて詳しく掘り下げます。過去に迷った人も、きっと勇気をもらえるはず!
Contents
紺野ぶるまはどこの大学?入学時期、学部まで徹底調査!
お笑い芸人として活躍する紺野ぶるまさんが、なんと39歳にして大学に入学したことをご存じでしょうか?
2024年3月のインタビュー記事(CHANTO WEB)や、本人のInstagram(@buruma_konno)によって、その大学生活の様子が明らかになっています。
どこの大学?
結論からお伝えすると、
「放送大学」に在学されていらっしゃいます。
これは彼女のInstagram投稿(こちら)にて確認されています。
放送大学は実は在学していて普段の環境下よりも寝かしつけの時に聞いたラジオの方が頭に入っていてテストでも役立ちます!!!
引用:2025年 Instagram
「放送大学」は誰でも学べることを目指した通信制の国立大学で、全国に学習センターがあり、子育てや仕事と両立しながら学ぶ人にも人気の大学です!
いつ入学した?タイミングは産後だった!
紺野ぶるまさんが放送大学に入学したのは、2023年9月。
出産後の子育てが少し落ち着き、「このまま高校中退のままじゃイヤだ!」という気持ちが強くなったことが動機のひとつだったそうです(CHANTOインタビューより)。
何を学んでいるの?心理学を中心に学問に没頭
専攻は心理学です。
中でも乳幼児心理学・発達心理学・障がい者心理学といった、子育てと直結する分野を中心に学んでいます。
彼女は「子どもに怒っている姿を見せることも虐待になりうる」と学び、実生活に知識を反映させているとのこと。
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育児と学業、両立のコツとは?
子育てと学業の両立は並大抵ではありませんが、紺野さんは「寝かしつけ時間に講義ラジオを聞く」など、すき間時間をうまく活用しています(本人Instagramより)。
また、夫がリモート勤務で育児を支えてくれていることも大きな助けとなっており、育休も2週間取得。
夫婦で子育てを支え合いながら、新しいチャレンジにも挑戦しています。
学ぶことで育児への向き合い方も変わり、本人いわく
「子どもが将来“母ちゃん女芸人なんて…”って言い出したとき、ちゃんとカウンセリングできるように」
引用:CHANTO WEB
という思いで学んでいるのだとか。
まさに今の紺野ぶるまさんは、「育児・芸人・学生」という三足のわらじを履くスーパー母ちゃん。
年齢や境遇に関係なく、“学びたい”という気持ちに素直に向き合うその姿は、多くの人の背中を押してくれますね!
紺野ぶるまの高校はどこ?
紺野ぶるまさんは高校名を公表していませんが、複数の一次情報から以下の特徴が明らかになっています。
インタビューから判明している「紺野ぶるまの高校の特徴」です↓
- 私立の“女子校”である(引用:HugKum)
小学館のインタビューで「推薦で私立の女子高校に進学した」と語っています。 - バドミントン推薦で入学(引用:HugKum)
中学で都大会ベスト8となり、その実績と成績でスポーツ推薦が決まったと明言しています。 - 電車通学だった(引用:CHANTO WEB)
「電車通学に憧れていた」と話し、実際に毎朝ギリギリの電車で登校していたエピソードを語っています。 - 校則が非常に厳しい(引用:CHANTO WEB)
黒髪強制、メイク禁止、靴下や身だしなみの細かい指導、遅刻は一定回数で欠席扱いといった私立女子校特有の厳しい校則があったことを証言。 - 修学旅行は“海外”だった(引用:CHANTO WEB)
母親が「海外旅行にも行かせたくて、修学旅行がゴージャスな高校にした」と語っています。 - 夏服は“白いセーラー服”だった可能性が高い
本人の高校時代の写真と、都内女子校で採用されている制服の傾向を照らし合わせると、白×紺ラインのセーラー服であった可能性が高いと考えられます。
以上の6つの条件をすべて満たす私立女子校はかなり限定的です。
ここからは、あくまでも予想として最も条件が一致する2校をご紹介します。
最有力候補:富士見高校(練馬区)
最も条件が揃っているのが富士見高校です(※あくまでも予想)。
富士見はバドミントン部が都大会上位の常連で、運動系推薦を受け入れていた年度が存在します。中学都大会ベスト8という実績と「推薦入試」という事実と矛盾しません。
さらに富士見は海外修学旅行を実施していた時期があるため、母親の「修学旅行がゴージャスだった」という証言と一致します。
また、校則の厳しさ(黒髪・身だしなみ指導・遅刻規定)も紺野さんの語るエピソードに近く、制服も白セーラー期があった可能性が高い学校です。
電車通学で三鷹からアクセスしやすい点も含め、紺野さんの証言すべてと最も整合しているため、富士見高校を最有力候補に挙げています。
第二候補:共立女子第二高校(八王子市)
次に条件が近いのが共立女子第二高校です。
バドミントンの強豪校として知られ、実際にスポーツ推薦が実施されている点は大きなポイント。
中学の都大会ベスト8という実績を評価する学校としても成立します。
校則は非常に厳しく、生活指導の強さは都内女子校の中でも上位クラス。
さんの「黒髪強制」「停学」「遅刻100回超」などの話とあっている感じです。
ただし、修学旅行が海外の年と国内の年が混在しており、母親の証言と完全一致するかは年度による点がネックです。
また、セーラー服の導入時期が限定的で、写真の条件とズレる可能性があるため、第二候補としています。
高校中退の真相とは?
今や“下ネタ謎かけ”という唯一無二の芸風で賞レース常連となり、大学にも通う努力家の紺野ぶるまさん。
でも実は、彼女の人生は後述しますが、「腐った蜜柑」呼ばわりされて高校を中退した過去から始まっているんです。
その波乱の半生は、自身の著書『中退女子の生き方〜腐った蜜柑が芸人になった話〜』(廣済堂出版)でも赤裸々に語られており、読んだら正直、胸がギュッと締めつけられます。
この記事では、そんな彼女の高校中退に至ったリアルな理由と、そこから芸人になるまでの再起の道のりを、一次情報の出典つきで丁寧に解説していきます!
校則に抗う“ギャル魂”が招いた高校中退
紺野ぶるまさんが通っていたのは私立の女子高校。
中学時代からギャルに憧れ、雑誌『egg』やモーニング娘。の全盛期に影響を受けて、髪を染め、つけまつげにルーズソックス、ピンクのブラトップで校内を歩くという派手で自由奔放な高校生活を送っていました。
当時の様子は『CHANTO WEB』の本人インタビューでも語られています。
彼女は遅刻を年間100回以上、授業中は寝る・移動教室には行かない・停学は複数回。
校長先生からは
「君は社会のクズ」
「学校を腐らせる腐った蜜柑」
引用:CHANTO WEB
とまで言われ、高校2年の冬に退学処分を受けるに至ります。。
その場には母親も同席し、「もう一度チャンスを」と懇願しましたが、叶わず即日退学が確定したそうです。(※出典:著書『中退女子の生き方』、CHANTO WEB)
高校中退後は?
学校がない、予定がない、お金もない——そんな中で感じたのは孤独と焦燥感でした。
「ギャルになって自由になれると思ったけど、実際には孤独で何もなかった」(CHANTO WEB 後編)
制服のある生活がいかに守られていたか、予定がある日々がどれほど精神を安定させていたかに気づかされることになったようですね。
暗黒期:通信高校再入学・バイト転々・詐欺
両親の勧めで通信制高校へ再入学。
そこからはギャル姿のまま月1スクーリングしながら、生活費を稼ぐために数多くのバイトを経験します。
- カラオケ店(見た目で即クビ)
- ティッシュ配り
- 食品工場のシール貼り
- イベントコンパニオン
- iPod梱包作業 など
(※出典:DIMEインタビュー)
その一方でモデル詐欺にも遭い、ファッションショー出演のために10万円、撮影会で20万円…と積み上がり、最終的に100万円超を騙し取られたこともあったそうです。
手術・難聴→お笑い芸人という希望
高校退学から数年後、再び卵巣嚢腫の手術を受けることに。(CHANTO WEBより)
さらに退院直後には突発性難聴も発症し、家で泣いている中、テレビで見たのがくまだまさし×鈴木Q太郎の「ブルマパーティー」。
「芸能人のバカバカしいネタに心から救われた。あんな風になりたい、そう思ったのが最初の一歩でした。」
(※出典:『中退女子の生き方』)
それが、芸人という道へ進むきっかけとなったのです。
松竹芸能で再起!
検索で見つけた松竹芸能の養成所。
これまで騙されてきた経験から、入学金が安く思えたそうです。
「女性タレントコース」から始まりましたが、周囲のネタ作りを見て刺激され、“下ネタなぞかけ”という芸風を確立。
やがてR-1ぐらんぷり(2017・2018)やTHE W決勝(2017~2019)と、テレビに出演する機会を増やしていきます!
「折れたままでも前に進めば、人は立ち直れる」
(※出典:『中退女子の生き方』より)
中学・高校時代のギャルエピソードがすごい!
テレビでは毒舌キャラや怪しい占い師としても人気ですが、彼女の個性は“ギャル”だった学生時代にそのルーツがあります。
実際、本人が多数のメディアで語っているように、中学・高校時代はまさにギャル真っ盛り!
金髪にアイプチ、つけま、ルーズソックス、さらには年間100回以上の遅刻……そのエピソードが強烈なんです。
この記事では、公式のインタビューや著書の内容に基づきながら、紺野ぶるまさんの青春時代をたっぷりとご紹介していきます!
小学校で「頭がいい子」だった→転落
CHANTO WEB|前編(2024年3月31日公開)によると、紺野ぶるまさんは、実は小学生時代は優等生だったという意外な一面を持っています。
保育園の頃から計算が得意で、1年生では先生の質問に一番に答えるような、いわゆる“できる子”だったそうです。
ところが、小2で仲の良い友達とずっとお喋りしていたことで授業に集中できなくなり、次第に成績が下がっていきます・・・。
「中1の夏に塾で確認テストを受けたら、小2の“分数”で止まってるって言われて…もう笑うしかなかったです(笑)」
中学時代は部活ガチ勢&ギャルの芽生え
CHANTO WEB|後編によると、学業は振るわなかったものの、紺野ぶるまさんはバドミントン部で都大会ベスト8という実績を持つ、かなりの運動派!
成績は「英語3、体育5、その他はほぼ2」だったそうで、塾に通っても「小学生からやり直しレベル」と判定され、落ち込んだ過去も・・・。
そんな彼女の中に、“ギャルになりたい!”という想いが芽生えたのは中学卒業間近の春休み。
「ルーズソックスをくしゅくしゅにして、アイプチ、つけま、日サロ、全部やりました!」
「ギャルたちはダラダラしてるのにかわいくて、あの感じにすっごく憧れてた」
(※出典:CHANTO WEB|後編)
高校時代はギャル全開!
高校に進学後、紺野さんのギャル度はさらに加速。
制服をアレンジし、ピンクのブラトップで校内を歩き回るなど、まさに型破りな高校生活を送っていました。
▶そんな紺野さんの高校時代17歳のガン黒ギャル姿はこちら
特に有名なのが“年間100回以上の遅刻”。
朝の電車で友達に「ギリギリ〜!」と叫びながら登校し、チャイムが鳴り終わった瞬間に滑り込むのが快感だったというエピソードも。
「チャイム鳴ってる中で廊下を走るスリルが楽しかったんですよね(笑)」
(※出典:CHANTO WEB 前編)
また、移動教室に行かず寝ていたり、夜遊びが過ぎて学校に来なかったりと、“ギャルライフ”に夢中になるあまり、学校生活はすでに崩壊寸前だったようです・・・。
「腐った蜜柑」と言われた退学処分の瞬間
DIMEインタビューによると、そんな中、ある日突然呼び出された校長室で、校長から告げられたのが、あまりにも強烈な一言を発せられます。
「君は社会のクズ。この学校を腐らせる腐った蜜柑だ」
引用:DIMEインタビュー
母親が必死で「もう一度だけチャンスを」と頭を下げましたが、その場で退学処分が確定。
高校2年の冬、紺野ぶるまさんは正式に退学となりました。
退学後のギャル生活!
2024年03年31日のCHANTO WEBによると、退学して自由になったかと思いきや、実際には「何もなさすぎて逆につらい」という現実が待っていました。
ギャルファッションを維持するにはエクステやブランド服で月5万円以上の出費が必要。
バイトで稼いでも一瞬で消え、しかもバイト先では「その格好じゃ無理」と言われて解雇される日々。
夜型の生活が当たり前になり、昼間は外に出られず、友達にも会えない。「晴れた日がいちばん怖かった」と語るほど、精神的に追い詰められていたといいます。
現在はギャル経験が今の“武器”
今となっては、このギャル時代こそが彼女の芸風の原点だったのだと分かります。
他人と違うことを恐れず、自分の価値観を突き通す力。
それが後に“下ネタなぞかけ”というオンリーワンの芸風へとつながっていったのです。
また、当時ハマっていた“言葉遊び”やギャル雑誌の語感、スラングなどが、ネタの中にも活かされています。(※出典:DIME)
「あの頃バカだったな」と笑えるようになった今、すべての経験が芸人・紺野ぶるまを形作る材料になっているんですね!
記事のまとめ
紺野ぶるまさんの人生は、まさに“転んでもただでは起きない”を体現したようなジェットコースターでした。
ギャル全開の高校時代から中退、暗黒期を経て、芸人として再起し、39歳で大学に進学するというドラマの連続。
その生き様には、年齢や過去に縛られず挑戦し続ける強さが詰まっています。
- 高校時代はギャル全開で“年間100回遅刻”や“腐った蜜柑”発言も経験
- 高校中退後は孤独・バイト転々・詐欺被害などの厳しい現実を味わう
- 手術や難聴をきっかけに「芸人になる」という希望を見つけ再起
- “下ネタ謎かけ”でブレイクしテレビ常連へ
- 母となった今は39歳で放送大学に入学し心理学を学ぶ真剣な学生
- 育児・学業・仕事の“三足のわらじ”で前向きに成長中
どんな過去があっても、学び直したいと思った瞬間から人生は何度でも変えられる——
紺野ぶるまさんの生き方は、そんな勇気を与えてくれます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!




