エバース佐々木の学歴(高校や大学・中学)は?野球のポジションも徹底調査!
今や漫才コンビとしてM-1決勝やNHK大賞を獲得し注目を集めるエバース。
そのネタ作りを一手に担う佐々木隆史さんは、実は大学まで野球一筋で生きてきた“元ガチ球児”なんです。
本記事では、そんな彼の
- エバース佐々木の学歴(高校・大学・中学)
- 野球ポジションやキャリア
を徹底調査!
プロ選手との対戦、狂気の部活ルール、舞台に活きる声出し文化まで、濃密に掘り下げます!
エバース佐々木の学歴!中学・高校・大学時代
エバース佐々木こと佐々木隆史さんは、芸人としての才能が注目されがちですが、その根底にあるのは学生時代をすべて野球に捧げた経験、「野球エリート」として学生時代を送ってきました。
彼は、文字通り「野球だけで生きてきた人間」でした。小学校2年生から大学4年生まで約15年間、毎日ボールを追いかけていた人生。
ここでは、その濃密な学歴=野球歴について、中学・高校・大学それぞれの環境や特徴、エピソードを交えながら詳しく解説していきます。
中学時代:県選抜に選ばれる
佐々木さんの出身地は宮城県登米市豊里町(とよさとちょう)です。
宮城県の北東部にある自然豊かな地域で、決して都市部ではありません。
2024年9月10日のクイックジャパンの記事によると、彼は2人の兄の影響で小学校2年のときに野球を始めたとご自身で語っています。
中学名は公表されていませんが、地域と学区の条件から考えると
登米市立豊里中学校
の可能性が高いと考えられます。
少年野球から中学野球へとつながる環境が整っており、彼のように長く続ける選手が育ちやすい土地柄でもあります。
中学時代には軟式野球で県選抜に選ばれたそうです。(出典:Number Web)
彼が高校でスポーツ推薦入学を狙うレベルの実力があったことを考えれば、地域では有名な選手だった可能性もあるでしょう。
高校時代:古川学園でキャプテンと甲子園の夢
佐々木さんの高校は、
宮城県の「古川学園高等学校」です。
引用:wikipedia
県内ではスポーツに力を入れている私立校で、バレーボールの強豪としても知られていますが、野球部も一定の実績がある学校です。
2024.9.10のクイックジャパンWEBでも語っているように、そんな古川学園で彼は野球部のキャプテンを任されていました。
しかも、彼の在学中には1学年下にプロ入りした佐藤優投手(元・中日)が在籍しており、菊池雄星投手(現・楽天)との対戦経験もあったといいます。
これは完全に競技者としての実力がある証明です。
「甲子園に行くことが、小学生から野球しかやってこなかった自分を正当化する唯一の方法だった」
この言葉からは、ただ勝ちたいというよりも人生をかけた野球だったという強い覚悟が伝わってきます。
部のルールには「レフトとライトのポール間を何十本も走るなど、凡退やエラーをしたら全員で責める」という昭和的で厳しい体育会系の文化もありました。
大学時代:スポーツ推薦で進学
高校卒業後は、
東北工業大学ライフデザイン学部(現・生活デザイン学科)へ進学。
ここでもスポーツ推薦での進学という情報が公式プロフィールに記載されています。
大学4年間も野球部に所属し、相変わらず「野球だけをして生きていた」日々だったと本人も語っています。
「この国では小2から22歳まで、毎日ちっちゃいボールを細い棒で打って走ってるだけで大卒になれるんです」
出典:QJWeb
この自嘲気味なコメントからもわかるように、本人は野球漬けの人生にどこか不安や違和感を抱えていたようです。
とはいえ、この大学時代に芸人のラジオにハマり始めたことが、後に人生を大きく動かすきっかけとなっていきます。
学歴=野球歴
佐々木さんの学歴をたどると、それはそのまま野球で進学し、野球で人生を切り拓こうとしていた軌跡です。
しかし、ここには大きな挫折が。
「名門野球部」という看板は、やはり伊達じゃなかったのでしょう。
強豪ひしめく仙台六大学リーグの世界に飛び込んだものの、レギュラー争いの壁は厚く、過酷な日々に心が折れてしまったようです。
次第に足が遠のき、練習に行かなくなり幽霊部員に……その悔しさは想像に難くありません。
ただ、そこで自暴自棄にならなかったのが彼の凄いところ。
野球への情熱は行き場を失っても、学業への取り組みは冷静そのものでした。
大学まで野球漬けだった彼にとって、引退後の世界はあまりに残酷でした。
周りが着実に社会人への階段を登る中、自分だけが立ち尽くしているような「浦島太郎状態」に陥ってしまったのです。
しかし、そこで彼は無理に周囲に合わせようとはしませんでした。
「普通の就活はしたくない、面倒・・・」という本音に従い、大学中にはまったお笑い芸人「ダイアン」に憧れ、芸人の世界へ飛び込むことを決意します。
彼にとってのNSC入学は、単なる進路選択ではなく、野球に代わる「次の夢中になれる場所(竜宮城)」を探すための必然の選択だったと言えるでしょう。
エバース佐々木がNSCへ進んだ理由とは?
エバース佐々木さんこと佐々木隆史さんの人生は、大学卒業まで“野球一色”でした。
小学校2年から大学4年まで、約15年間にわたり一度もブレず、野球だけをやって生きてきた男が、なぜ突然お笑いの世界に飛び込んだのか?
その理由や背景には、努力の限界と、自己肯定感とのせめぎ合い、そしてある“芸人ラジオ”との出会いがありました。
このパートでは、野球から芸人へ進んだ道筋を、当時の本人の葛藤や環境とともに深く掘り下げていきます!
「就活がダルくて」NSCへ…?本当にそれだけなのか
佐々木さんが大学卒業後、
2014年に吉本興業の養成所「NSC東京校21期」へ入学
しました。
として正式に活動を開始したのは翌年2015年からですが、そのきっかけについて本人は驚くほどサラッと語っています。
「普通に就活するのがダルかった」
「芸人のラジオにどっぷりハマっていた」
出典:QJWeb
この軽い言い回しだけを見ると「ノリで芸人になった」と思うかもしれません。
甲子園にも届かず、野球推薦で進学した大学生活を経ても「何かになれた」実感を得られなかった佐々木さん。
そんな中で彼を救ったのが芸人「ダイアン」のラジオだったのです。
漫才やテレビではなく「ラジオ」です。
これこそが、彼の“雑談スタイルの漫才”の原点といえます。
「芸人ごっこ」にすら届かなかった4年間
NSC卒業後、佐々木さんは町田和樹さんとコンビ「エバース」を結成します(wikipedia)
現在ではテレビ・ラジオ・全国ツアーと大活躍中ですが、デビュー当初の4年間は、本人曰く「芸人ごっこのレベルにすら立てなかった」と語るほどの地獄でした。
「月2〜3回しかライブがないのに、フリーライブも出ない」
「SNSもやらないからファンもつかない」
「劇場の底辺“トライアルクラス”から一度も抜けられなかった」
出典:QJWeb
野球という明確なルールや目標があった世界から、評価も結果も曖昧なお笑いの世界に飛び込んだ佐々木さんにとって、最初の数年間はまさに“迷子”のような日々だったようです。
何を努力すれば結果が出るのかさえ分からない。
それでも辞めなかったのは、どこかで「自分たちのほうが面白い」と信じていた、根拠なき自信があったからだといいます。
芸人人生を変えた、オズワルド伊藤俊介の一言
そんな“暗黒時代”を照らしたのが、芸歴4年目に訪れた転機。
オズワルド・伊藤俊介さんとのシャッフルコンビライブです。
すでに『M-1グランプリ』決勝進出を果たしていた伊藤さんが、なんと佐々木さんを指名したのです。
「まあでも、負ける気しないだろ?」
出典:QJWeb
このたった一言が、佐々木さんの心に火をつけました。
誰からも期待されず、笑いも取れなかった日々の中で、初めて対等な芸人として認められた瞬間。
それが、彼の芸人人生の分岐点になったのです。
その後、伊藤さんに漫才の基礎を1週間で叩き込まれ、ライブ当日を迎えます。
しかし、彼にとって初めて「お客さんが笑ってくれた漫才」でした。
野球から学んだ「耐える力」がお笑いで開花するまで
高校野球での理不尽な練習、キャプテンとしての重責、大学での葛藤――。
それらを経験した佐々木さんは、野球で培った“耐える力”をお笑いの世界でも発揮してきました。
努力してもすぐに結果が出ないことを知っている。
だからこそ、エバースとして4年間まったく結果が出なくても辞めなかったのです。
そして、今ではNHK新人お笑い大賞やABCお笑いグランプリで優勝するまでに成長しました。
【会見レポート】エバース「ABCお笑いグランプリ」の勝因を語る
町田「全部巻き込もうという感覚でやりました」
佐々木「いや、嘘だと思います」https://t.co/VHYs0HpMHA#ABCお笑いグランプリ #エバース pic.twitter.com/XEaPPIDJ2E— お笑いナタリー (@owarai_natalie) June 29, 2025
野球とお笑い――どちらの世界も、結果がすべてであり、積み重ねと瞬発力が問われます。
佐々木さんの漫才がどこか「冷静なのに熱い」のは、まさに野球で鍛えた集中力と勝負勘が根底にあるからこそ。
野球一筋で育った青年が、芸人としても“泥臭く勝負する姿”。
それは、どのジャンルのファンにも胸を打つ、生き様そのものです!
エバース佐々木の野球のポジションは?左投左打の主将の正体に迫る!
ABCお笑いグランプリ2025優勝
「エバース」佐々木さんが上京した頃。https://t.co/Dz45p0kfEu pic.twitter.com/ZIAJHwFMjX— FASHIONSNAP (@fashionsnap) July 1, 2025
漫才コンビ・エバースのボケ担当、佐々木隆史さんは、芸人としての活動が注目される一方で、実は大学まで野球一筋だった異色の経歴を持つ人物です。
その過去は、ただの“野球経験者”というレベルではありません。高校野球ではキャプテンを務め、プロ野球選手とも対戦経験があるほどの実力者です。
今回は、彼の野球におけるポジションやプレースタイル、野球人生が漫才へどうつながっていったのかを、彼自身の言葉や公式な情報に基づいて掘り下げていきます。
野球のポジションは?左投左打の「外野手」だった!
エバースの佐々木さんのポジションは左投左打の「外野手」(主にレフト/ライト)、打順は2番
出典:Wikipedia
だったそうです。
これは、彼自身が寄稿している連載コラム『ここで1球チェンジアップ』(QJWeb)にて語った内容から明らかです。
本当は「左投げ左打ちのピッチャー」を目指していた佐々木さん。
さらに「走って吐いてまた走る」という記述から、彼のポジションは単に試合に出るだけではなく、日々の練習でも主力として酷使されていたことがうかがえます。
甲子園を夢見てキャプテンを務めた
佐々木さんが通っていたのは、宮城県の古川学園高校です。
2024.9.10のクイックジャパンWEBの本人インタビューによると
ここは本人も記事で書いてあるとおり県内でも野球がそこそこ強豪とされる高校で、実際にプロ入りした後輩や、菊池雄星選手(現・楽天)との対戦経験もあるとされています。
特筆すべきは、そんな強豪校でキャプテンを務めていたという事実です。
キャプテンというのは、単なる野球技術だけでなく、人望・責任感・統率力が求められます。
「甲子園に行くことが、小学生から野球しかやってこなかった自分を正当化できる唯一の方法だった」
引用:2024.9.10のクイックジャパンWEB
この言葉からも、彼がいかに野球に真摯に取り組んでいたかが伝わってきます。
身長・体格・趣味は?
佐々木さんの身長は166cm、体重は62kg(出典:吉本興業公式プロフィール)です。
これは野球選手としては小柄な部類に入ります。
しかし、外野手であれば俊足や守備範囲の広さ、肩の強さが武器になるポジションであり、体格よりも運動能力や反射神経が重視されます。
小柄な体で外野を守っていたということは、それだけ機動力に優れていた選手だったと考えるのが自然です。
また、趣味や現在の活動からも、運動神経の良さは健在です。
お笑いと外野ポジションの視点の共通点
外野手というポジションは、いわば“チームを外から見守る存在”でもあります。
内野手と比べてボールに触れる機会は少ないかもしれませんが、その分状況を俯瞰で見る冷静さや、突然来る一球への集中力が問われます。
これは、ネタ作り担当としてコンビを支える佐々木さんのスタンスにも通じるものがあると思います。
相方・町田さんに「台本を渡さず口頭でネタを説明する」という彼のやり方は、あくまで相手に合わせながら全体の流れを操る司令塔のような立場であり、まさに外野手的な視点の延長線にあると感じます。
以上が、エバース佐々木さんの野球ポジションとそこにまつわる人物像の考察です。
まとめ
佐々木隆史さんの人生は、野球とお笑いという2つの世界で貫かれた“努力と覚悟の物語”です。
小2から大学まで野球一筋で生き、キャプテンとして仲間を率い、プロ選手とも対戦した彼は、野球で培った集中力や戦略眼をそのまま漫才の世界に活かしています。
彼の歩みを振り返ると、結果だけでなく、耐える力と挑戦し続ける姿勢こそが魅力です。
- 野球のポジションは左投左打の外野手。俊足と守備範囲が武器。
- 古川学園高校でキャプテンを務め、プロ入り選手とも対戦。
- 東北工業大学へスポーツ推薦で進学し、大学まで野球一色。
- 野球漬けの日々の中で芽生えた「芸人への憧れ」が転機に。
- 野球で得た忍耐力・分析力・勝負勘が、今の漫才スタイルを支える。
野球という原点があったからこそ、佐々木さんは舞台でも「一球入魂」の精神で勝負し続けているのです。
泥臭くも真っ直ぐに努力を重ねる姿勢は、彼の漫才だけでなく、生き方そのものに滲み出ています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!




