豪快キャプテン 山下ギャンブルゴリラの大学や高校等学歴!証券会社勤務ありなど経歴も!
この記事では、お笑いコンビ「豪快キャプテン」のツッコミ担当・山下ギャンブルゴリラさんの知られざる学歴や異色の経歴、芸人としての歩みにフォーカスします。
証券会社勤務という堅実な社会人経験を経て芸人に転身し、M-1準決勝まで駆け上がったギャンゴリさん。
出身高校や大学の情報に加え、中学時代に芽生えたお笑いへの情熱、そしてネタ作りや東京進出への本音まで、一次情報をもとに徹底解説。
ギャップだらけの山下さんの魅力に迫ります!
Contents
豪快キャプテン 山下ギャンブルゴリラの大学や高校など学歴まとめ!
「豪快キャプテン」というコンビ名もさることながら、一度聞いたら忘れられない強烈な芸名を持つ男、山下ギャンブルゴリラさん。
M-1グランプリでの準決勝進出など、その実力とキャラクターで今、お笑いファンから熱い視線を浴びています。
「ギャンブルゴリラ」という名前からは破天荒なイメージしか湧いてきませんが、実は有名私立大学を卒業し、証券会社勤務経験もあるという意外すぎる経歴の持ち主なんです!
今回は、そんな山下さんの学歴情報や、脱サラして芸人を目指した経緯、そして学生時代の意外な一面まで、信頼性の高い情報を交えて解説します。
山下ギャンブルゴリラの学歴一覧
| 学歴段階 | 学校名 | 補足 |
|---|---|---|
| 小学校 | 不明(非公表) | 兵庫県神戸市西区の小学校と推定 |
| 中学校 | 不明(非公表) | 神戸市立伊川谷中学校が有力。または、平野・井吹台も可能性あり |
| 高校 | 兵庫県立三木北高等学校 | 地元から通学。野球部に所属 |
| 大学 | 大阪経済大学 経済学部 経済学科 | 卒業後、証券会社に就職 |
※出典:豪快キャプテンのstand.fmラジオでの本人発言による情報
出身大学は「大阪経済大学」!
山下さんの出身大学は大阪経済大学経済学部と言われています。
本人がご自身のwebラジオで発言されたとされています。
※しかし公式の情報は非公開なので、信ぴょう性の高い情報がわかり次第、公式情報とともに更新します。
しっかりとお金の勉強をされたうえで、その後に芸人の道を選んだという事実だけでも、相当計画的な人生設計をされていたことが伺えます。
キャンパスは大阪市東淀川区にあり、在学中はお笑いの夢も胸に秘めながら、着実に学びを深めていたのではないでしょうか。
高校は地元の「兵庫県立三木北高等学校」!
高校は、兵庫県立三木北高等学校を卒業されています。
神戸市西区から通学圏内であること、野球部に所属していたことからも、部活に打ち込む日々だったことがうかがえます。
小学校時代はプロ野球選手を目指してクラブチームに所属していたという山下さんですが、「上には上がいる」と早めに見極め、進路を切り替えたというエピソードも本人談として語られています。
この野球で培った基礎体力と集中力が、今の漫才のスタイルや、ステージでの爆発力に繋がっているのかもしれませんね!
中学校はどこ?
山下ギャンブルゴリラさんの出身地は、兵庫県神戸市西区。
この情報は吉本興業の公式プロフィールにも明記されています。
神戸市西区は面積も広く、複数の中学校が学区に存在しますが、地理的・通学圏・高校進学先・部活動の観点から「伊川谷中学校」エリアに絞れる根拠があります。
① 高校との距離から逆算すると「伊川谷中学校」周辺が自然
山下さんの出身高校は兵庫県立三木北高等学校。
三木市にありながら神戸市西区からの通学者も多い、いわゆる「越境通学可能なエリア」に立地しています。
この高校に進学する生徒が多い中学校としては、伊川谷中学校・岩岡中学校・玉津中学校などが挙げられます。
また、伊川谷中学校周辺は西神中央エリアと呼ばれ、三木市寄りで交通アクセスも良好。
実家からの通学を考えたときに、自然な学区の中学校だと推測できます。
② 野球部・クラブチーム出身という経歴が裏付けに
本人が「小学校時代はプロ野球選手を目指してクラブチームに所属していた」と語っていることも、中学の選定において重要なヒントです。
神戸市西区で野球に力を入れている中学校として、伊川谷中学校や岩岡中学校は地域のリトルリーグ・クラブチームと繋がりが強く、部活動も盛んです。
山下さんのように「部活で本気で野球をやっていた」という背景を考えると、この地域での部活動実績や繋がりのある伊川谷中学校の可能性は極めて高いと言えます。
③ 公式発表はないが、地域・進路・部活すべてが一致
現在、山下さん本人から中学校名は公表されていません。ですが、神戸市西区出身・三木北高校進学・少年野球経験者という要素を組み合わせると、
「神戸市立伊川谷中学校」もしくはその隣接校(平野・井吹台)である可能性が極めて高いと考えられます。
芸風や芸名のインパクトに注目されがちな山下さんですが、こうした地元に根ざした堅実な青春時代の積み重ねが、いまの“熱いツッコミ芸”の原点なのかもしれません。!
中学時代に目覚めたお笑い愛!実は保育園からの筋金入り
お笑いへの目覚めはかなり早く、保育園の頃からおばあちゃんと一緒に漫才番組を観ていたという筋金入りの漫才ファンだったそうです。
中学生の頃にはM-1グランプリを観て「芸人ってカッコいい!」と憧れを抱き、高校時代にはすでに芸人を目指していたとのこと。
とはいえ、ハイスクールマンザイなどの大会に出場した経験はなく、あくまでも「野球部として真剣に部活に打ち込む」ことを優先されていたようです。
証券会社勤務の過去とは?芸人への転身理由も!
山下ギャンブルゴリラさんは、その見た目や芸名からは想像できないほど、実は堅実でリアルな社会人経験を持つ芸人さんです。
芸人になる前は、なんと証券会社で働いていたという異色の経歴の持ち主。
今回は、その社会人時代のリアルなエピソードや、芸人へと転身した背景について掘り下げていきます。
大学卒業後は証券会社へ就職!
山下さんは大学卒業後、1年間だけ証券会社に勤務していたことを自身のインタビューで明言しています。
彼はもともと大学在学中から芸人を志していたそうですが、いきなりNSCに進むのではなく、一度就職して資金を貯めてから親に話すという計画を立てていたそうです。
「大学に行ってから芸人になろうとは思っていたけど、1年だけ働いて、お金を貯めて、自分のお金で全部できるようになったら親に芸人になりたいって言おうと思ってたんです」
(出典:CH-FILES)
この発言からもわかるように、山下さんは夢を追うために“地に足をつけた準備”を怠らなかった人物だということが伝わってきます。
ギャンブルゴリラという派手な芸名とのギャップに驚かされますね!
配属先は山口県!毎朝5時半起きの飛び込み営業ライフ
証券会社での配属先は山口県だったそうです。
仕事はまさに体力勝負で、「毎朝5時半に起きて、会社に行って掃除して、飛び込み営業」というハードな毎日を送っていたとのこと。
飛び込み営業では、自分の担当エリアの住宅を一軒一軒訪ね、個人宅に直接アプローチしていたそうです!
「配属先は山口県で、毎朝5時半くらいに起きて会社に行って掃除して、みんなが来て朝礼。仕事は自分のエリアの個人宅へ基本的に飛び込み営業でした」
(出典:CH-FILES)
ノルマに追われるようなプレッシャーが本格化する前に辞めたと話していますが、それでも社会人としての経験は現在の芸人人生に大きく活きていると語っています。
芸人になると伝えた家族の反応は?
芸人になると伝えた際の家族の反応についても率直に話しています。
父親は激怒、母親は「自分の人生だから」と受け入れてくれたとのこと。
「お父さんには『なんでそんなええとこ辞めてまで芸人になるねん!』ってめちゃくちゃキレられて、お母さんは『あんたの人生やから』って言ってくれてました」
(出典:CH-FILES)
ちなみに、携帯代はいまだに親に払ってもらっているというエピソードも。
一見ネタのようですが、wikipediaでも記載されています。
こうした家庭との距離感や愛情も含めて、“どこか憎めない人柄”が山下さんの魅力のひとつですね。
堅実すぎる証券マンから、芸人へ
山下さんの転職(というより人生の転機)は、ただの衝動ではなく、きちんと準備をしたうえでの計画的な決断でした。
「若いうちならやり直しもきく」と考えて行動した彼の姿勢からは、表舞台とは違う努力と慎重さが見えてきます。
営業経験がトークに活きている!
飛び込み営業で培ったスキルは、芸人になった後にも確実に役立っています。
山下さんの丁寧かつ熱のこもったツッコミや、観察眼の鋭さは、この時代に育まれたとも言えるでしょう。
何百人もの他人の家のチャイムを鳴らしてきた経験は、舞台上でも、観客の反応を冷静に見て、適切に対応する判断力につながっているのかもしれません。
芸人・山下ギャンブルゴリラの経歴を総まとめ!M-1準決勝進出までの軌跡と漫才へのこだわり
誕生日ですぜひみなさん見にきてください☺️☺️ pic.twitter.com/JKgKFT65Ud
— 豪快キャプテン 山下ギャンブルゴリラ (@yamashita0716) June 27, 2025
最後に、「豪快キャプテン」の山下ギャンブルゴリラさんの芸人としてのキャリアに焦点を当て、デビューから現在までの歩みや、M-1準決勝進出という快挙、そして漫才へのこだわりまでを詳しく紹介していきます!
NSC大阪35期生としてスタート!かつては別のコンビで活動
山下さんは、吉本総合芸能学院(NSC)大阪校の35期生。
同期には「からし蓮根」「濱田祐太郎」「ジョックロック福本ユウショウ」などがいます。
デビュー当初は「ダークニンゲン」というコンビで活動していました。
(※ M-1グランプリ「ダークニンゲン」)
その後解散し、ピンでの活動を経て、2019年に現在の相方べーやんさんと再出発。
お互いがちょうどコンビを解散したタイミングで再会し、べーやん側からの声掛けで「豪快キャプテン」が誕生しました。
「年が6つ違って、ほとんど話したことがなかったけど、べーやんが声をかけてくれて。それが2019年の5月」
(出典:CH-FILESインタビュー)
芸名「山下ギャンブルゴリラ」の由来はニッポンの社長・辻
インタビュー記事によると、インパクト抜群の芸名「山下ギャンブルゴリラ」は、先輩芸人「ニッポンの社長」辻さんが命名したという裏話があります。
M-1グランプリ準決勝進出!着実に結果を出すコンビへ
「豪快キャプテン」は、コンビ結成の2019年以降、毎年M-1グランプリに出場!
以下のようにステップアップを続けています。
| 年度 | 結果 | 補足 |
|---|---|---|
| 2019年 | 3回戦進出 | コンビ結成初年度 |
| 2020年 | 2回戦進出 | 京都会場で出場 |
| 2021年 | 3回戦進出 | 安定した結果を残す |
| 2022年 | 準々決勝進出 | 初の上位ラウンド進出 |
| 2023年 | 準決勝進出 | 初の東京準決勝進出 |
| 2024年 | 準決勝進出 | 2年連続の快挙 |
| 2025年 | 準決勝進出 | 3年連続で準決勝到達 |
特に2023年以降は勢いを増し、「大阪予選では無双状態」と言われるほどの高い完成度で注目を浴びています。
「大阪でやったら無双できるぐらいウケる。でも東京準決勝だとウケきられへん」
(出典:よろず~ニュース(2025年2月))
関西での地位も確立
2025年には、関西のお笑い賞レース「第60回 上方漫才大賞」で新人賞を受賞!
バッテリィズやジョックロックなどの強豪を抑えての受賞となり、本人たちも驚いた様子を語っていました。(Lmaga.jp(2025年4月))
ネタ作りはノートなし
豪快キャプテンのネタ作りはかなりユニークで、文字に起こしたネタ帳は存在しないそうです。
「僕が大まかなネタを考えて、2人で会話しながら作っていきます。録音した音源を聞き返して調整してます」
(出典:CH-FILESインタビュー)
文字ではなく“喋りながら作る”というライブ感重視のスタイルは、豪快キャプテンならでは。
コントはやらない
豪快キャプテンはコントはほとんどやらず、漫才一本で勝負するコンビです。
そのスタイルには明確なこだわりがあり、山下さんも「文字に起こしてやってた時期はウケなかった」と語っています。
観客の反応を頼りに作り上げる“生の漫才”が、彼らの最大の武器。
東京進出は「行きたいけど行きたくない」
上方漫才大賞の受賞やM-1準決勝進出を経て、「東京進出するのか?」という疑問に対し、山下さんはこう語っています。
「将来NGK(なんばグランド花月)で漫才をするためには、全国で売れてないと。そのために(東京に)行きたい。でも、行かんでいいなら行きたくない(笑)」
(出典:よろず~ニュース)
このコメントからも、“大阪で漫才を続けたい”という強い想いと、現実とのギャップに悩むリアルな姿が見て取れます。
まとめ:地道に積み上げてきた芸人人生。
山下ギャンブルゴリラさんは、証券会社から芸人へ転身し、M-1・賞レースで結果を出し続けている努力型の芸人です。
ギャンブルゴリラという派手な名前の裏には、泥臭く積み上げてきた実績と継続力があり、その真摯な姿勢が舞台上でも観客に伝わっています。
これからの活躍、そしてテレビ進出や東京での舞台にも、大いに期待が持てそうですね!
記事のまとめ
山下ギャンブルゴリラさんは、派手な芸名からは想像できないほど、堅実な努力を積み重ねてきた芸人さんです。
神戸市西区で育ち、野球に打ち込みながら学生時代からお笑いの夢を育て、大学卒業後は証券会社で社会経験を積んでから芸人の道へ。
そんな“ギャップの塊”ともいえる歩みが、現在の勢いある活躍につながっています。
- 出身は神戸市西区で、野球に打ち込んだ高校時代を過ごす
- 大阪経済大学を卒業後、1年だけ証券会社で勤務
- 社会人経験を経てNSC大阪35期へ入学し芸人の道へ
- 豪快キャプテン結成後、M-1準決勝に3年連続進出
- 漫才一本にこだわり、ネタ作りは“会話ベース”の独自スタイル
- 関西の賞レースでも新人賞を受賞するなど実力を証明
努力と堅実さ、そして熱いツッコミで魅了する山下さん。
これからテレビ・劇場でさらに存在感を増すこと間違いなしの、注目すべき芸人です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!




