柳井綾音の出身高校や中学はどこ?小学校からの経歴や駅伝の実力を解説
パリオリンピックでの懸命な歩きが記憶に新しい、競歩の柳井綾音選手。
その可愛らしいルックスも相まって注目を集めていますが、彼女の出身高校や中学は一体どこなのか気になりますよね?
実は彼女、元々は駅伝選手を目指して長距離を走っていたという、意外な経歴の持ち主なんです!
そこでこちらの記事では、柳井綾音選手のwikiプロフィールや学歴、そして駅伝から競歩へ転向して世界レベルに達した実力の秘密を徹底解説します。
- 柳井綾音の出身高校は北九州市立!中学は曽根中
- 駅伝(長距離)から競歩へ転向した意外な理由
- 立命館大で4連覇!現在は名門「富士通」所属
Contents
柳井綾音のwikiプロフィール!年齢・身長や出身地
競歩界のニューヒロインとして、パリオリンピック代表にも選出された柳井綾音(やない あやね)選手。
その可憐なルックスと、世界と戦う力強い歩きのギャップに魅了され、彼女のプロフィール情報を詳しく知りたいという方は非常に多いのではないでしょうか?
まず結論から申し上げますと、柳井綾音選手は[月刊陸上競技の公式報道]で紹介されている通り、福岡県北九州市出身の競歩選手です。
大学卒業後の進路については注目が集まっていましたが、2025年4月からは実業団の名門「富士通」陸上競技部に所属しています(出典:富士通陸上競技部公式サイト)。
富士通といえば、マラソンの鈴木健吾選手や競歩のトップ選手も多く在籍する、日本陸上界の「銀河系軍団」とも言える強豪チームですよね。
世界を目指すための最高の環境に身を置いたことで、今後のさらなる飛躍が約束されたと言っても過言ではありません。
ここでは、そんな彼女の年齢や身長などの基本的なプロフィール情報を、公的なデータを元にさらに深掘りしていきます。
年齢や生年月日は?
柳井綾音選手の生年月日は、2003年12月24日です(出典:日本陸上競技連盟公式サイト)。
2025年現在、彼女は21歳~22歳を迎える世代となります。
この情報は、日本代表選手の公式データベースである日本陸上競技連盟の公式サイトだけでなく、世界陸連(World Athletics)のプロフィールページにも正確に記録されています。
2003年生まれといえば、陸上界だけでなくスポーツ界全体で才能豊かな選手が数多く輩出されている「黄金世代」の一つでもあります。
同世代のライバルたちが大学卒業を機にそれぞれの道へ進む中で、柳井選手はすでに「オリンピアン」としての肩書きを持ち、日本のトップランナーとして先頭を歩き続けています。
彼女が陸上競技(長距離)を始めたのは中学生の頃ですが、高校から本格的に競歩へ転向し、わずか数年で世界大会の切符を掴み取りました。
通常、競歩という技術的にも体力的にも成熟が必要な種目で、20代前半という若さでこれだけの実績を残すことは並大抵のことではありません。
私たちが普段テレビ越しに見ている、レース中の鬼気迫る真剣な表情とは裏腹に、SNSなどで時折見せる20代らしい等身大の笑顔も彼女の大きな魅力です。
身長と体重の公式情報
続いて、世界と戦うアスリートとして気になる身体データについて詳しく見ていきましょう。
柳井綾音選手の身長は156cmです(出典:wikipedia)。
これは日本人成人女性の平均身長(約158cm)と比較してもやや小柄であり、世界のアスリートの中では決して大柄な部類ではありません。
この身長データについては、パリ2024オリンピック出場時に公開されたJOC(日本オリンピック委員会)の選手名鑑などにて明確に確認することができます。
一般的に、競歩は「常にどちらかの足が地面についていなければならない」というルール上、手足が長い選手がストライド(歩幅)の面で有利とされることがあります。
しかし、彼女の強さは身長のハンデを一切感じさせない「圧倒的な技術力」にあります。
小柄であることは、裏を返せば「重心が低く安定している」ことや「長距離移動におけるエネルギー効率が良い」というメリットにもつながります。
彼女は、股関節の驚異的な可動域を生かして身体全体で推進力を生み出し、素早いピッチ(足の回転)を持続させることで、海外の大型選手たちと互角以上に渡り合っているのです。
体重については、多くのアスリート同様に非公表ですが、レース映像を見る限り、長距離種目特有の極限まで絞り込まれた、無駄のないシルエットをされています。
[World Athletics(世界陸連)]の公式記録を見ても、10000m競歩や20km競歩で安定して好記録をマークしており、自身の体格特性を最大限に活かしたスタイルを確立していることが数字でも証明されています。
パリオリンピック2024 陸上競技 日本代表選手
氏名:柳井 綾音(やない あやね)
生年月日:2003年12月24日
身長:156cm(引用:時事通信)
このように、複数の公式機関の情報からも、彼女が小柄ながらも世界レベルの大会で戦うための「研ぎ澄まされたフィジカル」と「努力の結晶である技術」を併せ持っていることがわかります。
まだ21歳という若さですから、実業団でのトレーニングを経てさらに身体つきやフォームが進化し、パワーアップしていく可能性も十分にあります。
次は、そんな才能あふれる彼女を育て上げた、地元・福岡での学生時代について詳しく見ていきましょう。
柳井綾音の出身高校や中学校は?
世界陸上やオリンピックでの活躍により、今や日本を代表するアスリートとなった柳井綾音選手。
彼女の強靭なメンタルと美しいフォームは、一体どこで培われたのでしょうか?
結論から申し上げますと、柳井綾音選手の出身高校は「北九州市立高等学校」、出身中学校は「北九州市立曽根中学校」です。
これは、彼女が実業団入りした際の報道である[月刊陸上競技のニュース記事]内でも、経歴として「曽根中(福岡)→北九州市立高(福岡)」と明確に記載されています。
福岡県といえば、高校駅伝の強豪校がひしめく「陸上王国」として知られていますが、柳井選手もその激戦区で揉まれながら成長しました。
特に北九州市立高校は、陸上競技ファンなら誰もが知る名門校であり、彼女の才能はこの場所で一気に開花することになります。
ここでは、彼女が青春時代を捧げた高校・中学時代のエピソードや成績について、偏差値などの学校情報も交えながら詳しく解説していきます。
北九州市立高校の偏差値
柳井綾音選手が通っていた「北九州市立高等学校」は、福岡県北九州市戸畑区にある公立高校です。
一般的に気になる偏差値についてですが、同校の偏差値はコースによって異なり、概ね48~54程度と言われています(出典:みんなの高校情報)。
しかし、柳井選手のようなトップアスリートにとって、この数字以上に重要なのが「スポーツ専攻」としての環境の充実度です。
北九州市立高校の陸上競技部は全国レベルの強豪であり、鮮やかなピンク色のユニフォームは、インターハイや都大路(高校駅伝)の常連として全国のファンの目に焼き付いています。
柳井選手はこの名門陸上部で、恩師や仲間たちと共に過酷なトレーニングに励みました。
その成果が結実したのが、高校3年生の時に開催された福井インターハイ(2021年)です。
彼女はこの大会の女子5000m競歩において、圧倒的な強さを見せつけ、見事に全国優勝を果たしました(出典:月刊陸上競技:福井インターハイ記事)。
当時のレース展開は圧巻で、2位以下を大きく引き離す独歩状態でゴールテープを切っており、高校生にしてすでに「世界」を見据えた歩きを完成させていたことがわかります。
また、高校時代には国体(国民体育大会)でも優勝を飾っており、名実ともに「高校No.1ウォーカー」としてその名を全国に轟かせました。
福井インターハイ陸上第4日
女子5000m競歩 決勝
優勝 柳井綾音(北九州市立3福岡) 22分50秒45
(引用:月刊陸上競技公式サイト)
高校卒業後、関西の強豪・立命館大学へと進学し、さらなる飛躍を遂げるわけですが、その基礎となる技術や精神力は、間違いなくこの「ピンクのユニフォーム」時代に築かれたものだと言えるでしょう。
曽根中学校時代の成績
続いて、彼女の陸上人生のスタート地点である中学時代に遡ってみましょう。
柳井綾音選手の出身中学校は、地元・福岡県の「北九州市立曽根中学校」です(出典:月刊陸上競技:進路報道記事)。
曽根中学校もまた、陸上競技が非常に盛んな学校として知られており、全中(全日本中学校陸上競技選手権大会)への出場者を多数輩出しています。
実は、中学時代の柳井選手は最初から「競歩」を専門にしていたわけではありませんでした。
入学当初は中長距離(800mや1500mなど)をメインに取り組んでおり、駅伝メンバーとしてチームに貢献することを目指していたのです。
そんな環境の中で、彼女は「走ること」の基礎を徹底的に叩き込まれました。
[日本陸上競技連盟のプロフィール]を見ると、彼女のキャリアが中長距離から始まっていることが読み取れますが、競歩へ本格的に転向したのは、高校進学前後、あるいは高校入学後と言われています。
もし中学時代に「走る」競技を選んでいなければ、あるいは曽根中学校という陸上に熱心な環境にいなければ、今の「オリンピアン・柳井綾音」は誕生していなかったかもしれません。
そう考えると、彼女の原点である曽根中学校での日々は、非常に重要な意味を持っていたと言えますね。
中学で基礎体力を作り、高校で専門技術を磨き、大学で世界へ。
この理想的なステップアップこそが、柳井綾音という稀代のアスリートを形成した「成功のロードマップ」なのです。
柳井綾音の小学校からの経歴!立命館駅伝への憧れが原点
現在でこそ「競歩の女王」としてその名を馳せる柳井綾音選手ですが、彼女の陸上人生のすべてが順風満帆だったわけではありません。
実は、彼女の競技人生の原点には、競歩ではなく「駅伝」への熱い想いがありました。
結論から申し上げますと、柳井選手は幼少期から活発な少女で、中学校から本格的に陸上競技をスタートさせていますが、その根底には「駅伝(長距離走)への強い憧れ」があったことが、メディアの取材で明らかになっています(出典:あすリート:柳井綾音×鳥谷敬 対談記事)。
彼女が大学進学時に、女子駅伝の強豪である立命館大学を選んだことからも、その強い志が見て取れます。
結果的に彼女は「走る」ことではなく「歩く」ことで世界への扉を開きましたが、そのストイックな練習姿勢は、憧れの駅伝選手たちにも負けない熱量を持っています。
ここでは、彼女が陸上を始めたきっかけから、大学での偉業、そして社会人としての新たなスタートまでを時系列で詳しく解説していきます。
陸上を始めたきっかけ
柳井綾音選手が陸上競技に本格的にのめり込んだのは、地元・北九州市の中学校時代です。
当初、彼女が目指していたのは「競歩選手」ではなく、タスキをつなぐ「駅伝ランナー」でした(出典:あすリートチャンネル)。
特に女子長距離界において、立命館大学(および系列高校)のエンジとピンクのユニフォームは「強さの象徴」であり、多くの陸上少女たちの憧れの的です。
柳井選手もその一人であり、将来は駅伝の名門校で走ることを夢見て、日々トラックを駆け抜けていました。
しかし、高校時代(北九州市立高)に転機が訪れます。
指導者の勧めや自身の適性を見極める中で、彼女は「長距離走」から「競歩」への転向を決断しました。
この転向は大成功で、前述の通りインターハイ優勝を成し遂げますが、彼女の心の中には常に「トップレベルで戦いたい」という、駅伝選手に負けないハングリー精神がありました。
その想いが結実したのが、憧れの立命館大学への進学です。
彼女は立命館大学スポーツ健康科学部に進学し、名門・陸上競技部の一員となりました(出典:立命館大学公式サイトニュース)。
大学時代の彼女の活躍は、まさに「伝説級」と言っても過言ではありません。
なんと、学生スポーツの最高峰である「日本学生陸上競技対校選手権(日本インカレ)」において、女子10000m競歩で4連覇という偉業を達成したのです(出典:月刊陸上競技:日本インカレ報道)。
1年生から4年生まで、一度も負けることなく頂点に立ち続けることの難しさは想像を絶します。
怪我やプレッシャー、マークされる重圧を跳ね除けての4連覇は、彼女が単なる才能だけの選手ではなく、強靭なメンタルを持った真のアスリートであることを証明しています。
「走る」夢から始まった彼女の陸上人生は、「歩く」ことで日本一、そして世界へと繋がりました。
富士通へ実業団入り
大学時代に「インカレ4連覇」「パリオリンピック代表選出」という輝かしい実績を残した柳井綾音選手。
大学卒業後の進路には多くの注目が集まっていました。
そして2025年4月、彼女が選んだ新天地は、実業団の超名門「富士通」陸上競技部でした(出典:富士通陸上競技部公式サイト)。
このニュースは、陸上界に大きな衝撃と喜びを与えました。
なぜなら富士通は、男子競歩の第一人者である東京五輪銀メダリストの池田向希選手や、男子マラソン日本記録保持者の鈴木健吾選手など、世界大会の常連が多数在籍するトップチームだからです。
月刊陸上競技の報道によると、柳井選手は400mハードルの小川大輝選手と共に富士通へ新加入しており、チームの即戦力として期待されています(出典:月刊陸上競技:富士通新加入選手報道)。
大学卒業後、競技を続ける環境が見つからずに引退する選手も少なくない中、これほど充実したサポート体制を持つチームに進めたことは、彼女の実力が企業からも高く評価されている証拠です。
社会人1年目となる2025年シーズンからは、学生という枠を超え、プロのアスリートたちとしのぎを削ることになります。
しかし、富士通という最高の練習環境と、世界を知るチームメイトたちの存在は、彼女をさらに高いレベルへと引き上げてくれるはずです!
富士通陸上競技部 2025年度新加入選手
柳井 綾音(やない あやね)
出身校:立命館大学
種目:競歩
(引用:富士通陸上競技部公式サイト)
「駅伝への憧れ」から始まった少女の夢は、今や「世界の頂点」を目指す挑戦へと進化しています。
社会人アスリート・柳井綾音の第2章がどのようなドラマを見せてくれるのか、私たちファンも目が離せませんね。
次は、そんな彼女の核心部分である「競技の実力」と「転向の秘密」について、さらに深掘りしていきましょう。
柳井綾音の駅伝の実力は?長距離から競歩へ転向した理由
パリオリンピック代表にも選出され、今や日本の競歩界を背負って立つ存在となった柳井綾音選手。
しかし、前述の通り彼女のルーツは「駅伝」にありました。そこで気になるのが、「長距離走(駅伝)の実力はどれくらいだったのか?」そして「なぜ大好きな走ることを辞めて、歩くことを選んだのか?」という点です。
結論から申し上げますと、中学時代の彼女は県大会レベルの選手であり、全国的に目立つような長距離走の実績は残っていません(出典:日本陸上競技連盟公式サイト:主要競技歴)。
もし彼女がそのまま長距離走を続けていたら、私たちは「オリンピアン・柳井綾音」を見ることはできなかったかもしれません。
ここでは、彼女の運命を変えた転向の理由と、世界と戦えるまでに成長した現在の実力について詳しく見ていきましょう。
長距離走の実力と記録
まずは、中学時代に取り組んでいた長距離走(駅伝)の実力についてです。
柳井選手は福岡県の曽根中学校時代、800mや1500mといった中長距離種目に取り組んでいました。
しかし、日本陸連や地方大会のデータベースを確認しても、中学時代の彼女の名前が全国ランキングの上位に登場することはありません。
これは、彼女の実力が低かったというよりは、福岡県という地域が全国屈指の「陸上激戦区」であり、周囲のレベルが極めて高かったことも関係しています。
実際に、彼女の公式プロフィール(JAAF)に掲載されている主要成績は、高校時代(2019年以降)の競歩種目から始まっています(出典:日本陸上競技連盟公式サイト)。
つまり、データの上でも「長距離選手としては無名だったが、競歩選手として突如現れた超新星」という見方ができるのです。
「走る」ことでは全国の壁を越えられなかった少女が、「歩く」技術を身につけた瞬間に全国トップへと駆け上がる。
まるで漫画のようなストーリーですが、これこそが陸上競技の奥深さであり、彼女の身体的特徴(長い手足や関節の柔軟性)が、走るよりも歩くことに適していた何よりの証明と言えるでしょう。
競歩転向の意外な理由
では、なぜ彼女は高校入学というタイミングで、愛着のある長距離走から競歩への転向を決意したのでしょうか?
その最大の理由は、進学した北九州市立高校陸上部の顧問の先生による「適性の見極め」と「勧め」にありました。
高校入学当初、柳井選手はまだ競歩に対して「変な動きで歩く競技」という程度の認識しか持っていなかったかもしれません。
しかし、指導者は彼女の歩き方や骨格を見て、競歩選手としての素質を瞬時に見抜いたのです。
この転向のエピソードについては、関西のスポーツ番組「あすリート」にて、元プロ野球選手の鳥谷敬氏との対談などでも触れられており、彼女自身が競歩の難しさと面白さに目覚めていく過程が語られています(出典:あすリート:柳井綾音×鳥谷敬)。
最初は「もっと速く走りたい」という思いがあったかもしれませんが、競歩を始めてすぐに記録が伸び始め、高校1年生の新人戦ですでに頭角を現します。
そして高校3年生のインターハイ優勝、大学でのインカレ4連覇と、その後の快進撃は周知の通りです。
[World Athletics(世界陸連)]の記録を見ると、現在の彼女の10000m競歩の自己ベストは43分台に突入しています。
これは、一般人が全力で走っても追いつけないほどのスピードで、10kmもの距離を「歩ききっている」ことになります。
「走るのを諦めた」のではなく、「世界で戦うための武器を見つけた」。
記事のまとめ
いかがでしたでしょうか?
こちらの記事では、競歩界の若きヒロイン・柳井綾音選手の経歴や出身校、そして知られざる転向のエピソードについてまとめてきました。
「走る」ことへの憧れからスタートし、恩師との出会いによって「歩く」才能を開花させた彼女のストーリーを知ると、レース中の苦しい表情さえも輝いて見えてきますよね。
最後に、本記事の重要なポイントを箇条書きで振り返ってみましょう。
- 生年月日は2003年12月24日、福岡県北九州市出身の21歳(2025年現在)。
- 出身高校は北九州市立高校、中学は曽根中学校で、地元愛が強い。
- 中学時代は駅伝ランナー志望だったが、高校で競歩へ転向しインターハイ優勝。
- 立命館大学ではインカレ4連覇という偉業を達成し、世界への扉を開いた。
- 2025年からは実業団の「富士通」に所属し、プロとしてロス五輪を目指す。
学生アスリートから、名門・富士通を背負う実業団選手へ。
環境は変わっても、彼女のひたむきな向上心と、観る人を惹きつける魅力的なフォームは変わりません。
2028年のロサンゼルスオリンピックで、彼女が表彰台の真ん中で笑顔を見せてくれることを信じて、これからも柳井綾音選手を全力で応援していきましょう!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!




